標準装備を可能にした石斧加工工場
富山県朝日町は海底林のあった入善町の東隣の町。
境A遺跡は現在、北陸自動車道の越中境パーキングエリアに様変わり。縄文時代、ここは蛇紋岩を用いて石斧の刃先を大量に生産する加工工場だった。
境A遺跡から大量の磨製石斧が発見されたのは1984年のことである。出土総数は三万五千点以上、総重量は1トンを超える。さすが加工工場。遺跡はやや高台にあり、目の前には日本海が広がる。人々は海岸で拾い集めた蛇紋岩の原石をムラに持ち帰って加工していたという。
遺跡を紹介するパンフレットに磨製石斧の加工の様子がまとめられていた。
海岸で採取した扁平な楕円形の蛇紋岩の原石を、まず最初に敲き石を用いて側縁を薄く打ち割ったり、コツコツと敲いたりして斧の形に整えていく。この際、丸みのある原石を細長い形にすることに主眼を置く。続いて、砂岩製の大きな置き砥石の上で研磨して完成させる。さらに光沢を出すために皮などで磨いて仕上げた可能性もある。
蛇紋岩は緑色、褐色、灰色などの縞模様が蛇の皮の文様のように見える岩石で、粘りが強く割れにくい性質を持ち、鋭い刃先を研ぎだすことができる。磨くと美しい縞模様が浮かび上がる蛇紋岩製の斧は縄文時代のブランド品として各地でもてはやされだろう。
蛇紋石 じゃもんせき Serpentine 一般的によくみられる、含水マグネシウムケイ酸塩鉱物(→ ケイ素:鉱物学)。塊状で、蛇の紋に似た模様をしめすことから名づけられた。単斜晶系(→ 結晶)で、アンティゴライト(塊状)、またはクリソタイル(繊維状)という2つの基本的な形をとる。アンティゴライトはつやがある。またクリソタイルは絹状の見掛けをもつ。ともに暗緑色から黄緑色で、とくにアンティゴライトには、うつくしいまだらの模様がある。ふつう蛇紋石といえば、アンティゴライトをさす。クリソタイルはアスベストの原料となる。アンティゴライトは、しばしば緑色の大理石風石材として装飾用につかわれる。硬度2〜5。比重はアンティゴライト2.65、クリソタイル2.2。
蛇紋石は、橄欖石、角閃石、輝石など他のマグネシウムケイ酸塩の変質鉱物として生じる。マントル(→ 地球)を構成する岩石である橄欖岩が変質をうけると、大きな蛇紋岩体になる。大規模なクリソタイルの岩体としては、カナダ、ロシア、カザフスタン、南アフリカなどのものが有名である。日本でも、各地に小規模ながら蛇紋岩体のあることが知られている。
日本列島にひろまった磨製石斧
富山市にある富山県埋蔵文化センターの収蔵庫には大量の磨製石斧が保存されている。 磨製石斧を作る作業に二、三日程度を必要とし、加工のための大型の砥石が住宅内に据えられている例もあるという。
遺跡からは相当数の失敗品も出てくる。加工ムラといっても磨製石斧の加工はそう簡単なものではなさそうだ。熟練した技術が必要だったようだ。石材の選択や打ち割りの技法、さらには研磨技術と一連の工程に職人的な要素が多い。
熟練作業の賜物だった境Aムラ産の磨製石斧は縄文社会では広く流通したとも考えられている。蛇紋岩製の磨製石斧を生産していた場所は日本列島の中でも境Aムラを中心とした富山から新潟にかけての北陸東部に集中していることから、蛇紋岩製の磨製石斧が他の地域で発見された場合、そこはこの地方との関係が深いと推測できる。
鳥浜貝塚の石斧柄、境A遺跡の磨製石斧と見てくると、縄文時代には技術と流通の発達によって相当に高水準の石斧が思いのほか簡単に、多くの人々の手に渡っていたのではないかと考えさせられる。
凡そ6000年前以降、日本列島では磨製石斧に代表される日用道具のひと揃いが家々に標準装備されるようになるという。そして新たな森が次々と開拓されて人々が入植し、ムラの数が急速に増えていくのであろう。
渡辺 利明 NHK教育番組ディレクター
−境A遺跡の磨製石斧− |
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出土した石器の中でも群を抜いて多いのが、蛇紋岩を用いて作られた磨製石斧です。 |
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蛇紋岩製石斧 |
砥石 |
擦り切り痕のある原石 |
また、制作に使ったと考えられる石器類も、同じ場所から数多く出土しており、石器の製作 |