常呂川河口遺跡は、河口にほど近い標高3〜5mの低地にあります。河川改修工事に伴う15年間の発掘調査で、縄文(前期)(中期)(後期)(晩期)、続縄文、擦文、オホーツク文化期の住居や墓などが多数発見されました。
続縄文文化 約1800年〜1500年前
本州では稲作の弥生文化でしたが、北海道は寒いため稲作は行われていません。
人々は縄文文化と同じく、狩猟や漁労、植物採取の生活を送っていました。
鉄器と石器併用の文化です。
初期のころは地域的集団であったが、後半になると後北文化・北大文化が全道一円に広がり、東北地方まで拡大します。
常呂町では初期のころから、後半のころまで遺跡があります。初期の土器と後半の土器では文様に違いがあり、墓の構造や埋葬方法も異なっています。
常呂町では石刃鏃文化の住居は発見されていませんが、浦幌町共栄B遺跡では中央に炉をもった隅丸方形の竪穴住居が発見されています。
常呂川河口遺跡67号住居跡。出入口の張出部をもつ。
常呂川河口遺跡115号住居跡。中央部に石囲み炉をもつ。
常呂川河口遺跡300号墓(約1400年前)
成人男性の人骨検出状況。
常呂川河口遺跡263c号墓(約1800年前)
遺体の中央部に5連の琥珀製首飾り。壁の周りには小柱穴がある。
常呂川河口遺跡988a号墓(約1500年前)
頭部を東方向に向け、土器、鉄器(刃子)が近くに置かれている。
常呂川河口遺跡15号住居 (約1100年前)
常呂川河口遺跡15号竪穴は長軸14m、短軸10mの六角形です。床には「コ」字形に粘土が貼られています。火災を受けたこの住居は炭化した建築材が残っていました。壁板は内側に倒れ込み、屋根材である白樺樹皮と木釘もありました。
この住居からは約40個に及ぶ土器をはじめ骨角器、鉄器、木製品などが多量に出土しました。遺物の分布状況からこの住居には5〜6世帯、約20人に及ぶ人々が同居していたと推測されます。
常呂川河口遺跡15号住居周辺空撮
正方形の畔は一辺4mあり、住居の大きさがわかります。
15号竪穴からは特大型・大型・中型・小型の土器40点出土。
栄浦第二遺跡88号墓出土土器
常呂川河口遺跡15号住居
中型・小型土器出土状況
常呂川河口遺跡15号住居出土
骨塚側に伏せられていた特大型土器
常呂川河口遺跡15号住居出土
彫刻品:ラッコ
胸部で手を組む様子。腹のシワなどラッコの特徴を見事に表現している。クマ犬歯製。
常呂川河口遺跡15号住居出土
彫刻品:クマ
頭を下げ、手・足が表現されています。鹿角製。
常呂川河口遺跡15号住居出土
彫刻品:オットセイ形ペンダント
常呂川河口遺跡15号住居出土
彫刻品:クマ
栄浦第二遺跡30号墓
人骨検出状況
規模は長軸1.40m、短軸0.80mの楕円形です。
内部から手足を折り曲げ、頭を北−西に向けた成人男性の人骨が発見されました。頭には大型土器が被せられ、鉄製の小刀も副葬されていました。
栄浦第二遺跡88号墓検出状況
配石をもつもので、銀製の耳飾りも出土しています。青銅製品、銀製品などは大陸の靺鞨・女真文化に同様なものがあります。
栄浦第二遺跡88号墓
上部に大型礫が配置されている。
栄浦第二遺跡30号墓
頭部に大型土器を被せている。