サロマ湖東岸

常呂町・岐阜第2遺跡

  岐阜第2遺跡(約20,000年前)

  岐阜第2遺跡はサロマ湖東岸にほど近い標高10〜15mの台地上にあります。小沢の両側には擦文文化を中心に縄文・続縄文の住居跡があります。

  岐阜第2遺跡はサロマ湖東岸にほど近い標高約1015mの台地上にあります。小沢の両側には擦文文化を中心に縄文・続縄文の住居跡があります

  この頃の気温は現在より平均気温が8度ほど低く、宗谷海峡(深さ約60m)と間宮海峡(深さ約10m)は陸続きだったと考えられています。

  当時は現在の常呂町の海岸線から約15km以上離れたところが海岸だったと考えられています。

  常呂町の旧石器時代の遺跡は今のところ岐阜第2遺跡だけですが、北海道内でも最古に位置づけられる遺跡として知られています。

  この頃大陸からやってきた動物にマンモス、ヘラジカ、バイソン、ナウマン象、オオツノジカなどがいます。

  縄文文化(前期) 6000年〜4300年前

   縄文時代の中で最も気温が高かったのがこの頃です。海水面が現在より35mほど上昇していたと考えられています。
  前期の最初の頃の土器は植物繊維を粘土と混合して製作した繊維尖底土器が全道に見られます。常呂町でも岐阜第2遺跡、トコロチャシ跡遺跡などから発見されています。 

その後、道南西部では東北地方と関連した「円筒土器」があるのに対し、道東部では「押型文・櫛目文土器」が現れるなど地域的な変化があります。

  トコロ朝日貝塚、トコロチャシ跡遺跡

  両遺跡とも標高約18〜20mの常呂川右岸台地にあります。

   東京大学の発掘調査(1958年〜1962年)ではサハリン、沿海州、バイカル湖周辺など北東アジアの大陸に起源をもつ石刃鏃と土器が出土しています。
石刃鏃とは両側縁が平行な石刃を尖らし、裏側の縁を加工した独特のやじりです。この人々の文化を石刃鏃文化と称しています。

  北海道で古い土器は沈線、爪形、貝殻文などがつけられた土器群(約8,000年前)です。道南部では底部が尖底、道東では平底となりますが、常呂町ではまだ発見されていません。
  次の段階の土器は細い縄を棒に巻きつけてそれを押し付けた文様のある「絡条体圧痕文」です。次に組紐・縄文の施された土器が現れます。
「絡条体圧痕文」土器は石刃鏃土器を伴う土器ですが、トコロ貝塚出土の14類土器は口縁部に円形の型押が施された土器が石刃鏃と出土しています。常呂町ではこの土器が最古のものです。

  常呂町では石刃鏃文化の住居は発見されていませんが、浦幌町共栄B遺跡では中央に炉をもった隅丸方形の竪穴住居が発見されています。

  縄文前期の住居跡

岐阜第2遺跡17b号住居の画像  

岐阜第2遺跡17b号住居
平面形は隅丸方形で約6,000年前のものです。
長軸約10mの大型住居です。

  縄文前期の土器

岐阜第2遺跡17b号住居出土土器

常呂川河口遺跡第12層から出土された土器の画像

常呂川河口遺跡第12層出土土器
押型文、櫛目文、無文土器。口縁部の下に円形文が施されるのが特徴。