縄文海進

最終氷期から縄文海進の北海道

最終氷期から縄文海進の北海道

 最終間氷期(約13万年前から11万年前)と最終氷期(約11万年前から1万円前=第四期参照)に区分されて後期更新世。

 最終間氷期は、現在とほぼ同じかやや温暖な気候であったため、湖となった日本海を囲んでいた各陸橋は、海水面の上昇によって再び海峡となった。その結果、これ以前に大陸から渡ってきたナウマンゾウやオオツノジカなどは、島となった北海道で生活していくこととなった。

 約11万年前から再び寒冷な環境となり、海水面の低下が進んだ。これは、今までに訪れた最後の氷期であることから、最終氷期(第四期参照)と呼ばれている。特に、約75千年前から2万年前の間は、やや温暖な時期もあったものの全体的に寒冷であったため、海水面が−50m以下まで低下していたとされている。

 こにお結果、ベーリング海峡周辺では「ベーリンシア」と呼ばれる陸地が出現し、シベリアとアラスカを結ぶこととなった。このベーリンシアを通ってマンモス動物群が北米まで移動し、それを追って人類も移住・拡散した。

 最終氷期には、北海道周辺における現在の水深約50mまでの海底が陸地となって広がった。

 奥尻島や石狩、釧路沖などの海底には河川の流れた跡が残されており、当時その周辺が陸地であったことが窺われる。

 さらに、この海退によって宗谷・間宮陸橋が成立し、北海道はサハリンを通じて大陸と陸続きになった。しかし、津軽海峡は存在したため、北海道は大陸から南へ伸びる半島の一部となり、やがて、大陸からマンモスゾウや野牛などを含む脊椎動物(マンモス動物群の一部)が渡来することになった。

北方源流

 最終氷期の北海道では、いくつかの大規模な火山噴火が起こっていた。約11万年前には屈斜路火山が噴火し、大量の軽石が湧別町、常呂町、網走町付近はもとより羽幌町まで達した。約9万年前には洞爺湖火山が大噴火を起こし、噴出した軽石が蘭越町や黒松内低地帯まで達した。又、このときの火山灰は東北地方北部にまで分布している。支笏火山の活動は約5万年前頃から始まり、約4万年前の大噴火で噴出された軽石は、恵庭市から苫小牧までの低地帯を埋め尽くすとともに、洞爺湖付近や札幌周辺はもとより十勝平野そして天北地域まで達した。苫小牧市や千歳市では、針葉樹の森が降下した軽石で埋められている。

 最終氷期には、南極周辺やアルプス・ヒマラヤ山脈などに氷河が発達し、現在、氷河が分布していない北海道でも、日高山脈に小規模な山岳氷河が形成されている。

 約2万から1万8千年前は最終氷期の中でも最も寒冷な時期となり、平均気温が現在よりも約7〜8℃低下したとされている。海水面は現在より約100m前後下がり、北海道周辺では更に陸域が拡がった。津軽海峡の水深も浅くなり、北海道との間が約10`まで(現在で約20`)狭まったものの、陸橋としては存在しなかった。

 その後、約1万5千年前から急激に温暖化が進み、大陸氷床の融解・縮小によって海水面の上昇が始まった。

 1万3千年〜1万年前には宗谷海峡が成立し、ようやく寒い時期が終了していった。

   対馬暖流の流入と縄文海進

 後氷期(間氷期)には、温暖化と伴う海水面の上昇が進み、日本列島周辺に位置する各海峡の幅が広がりはじめ、約9千年前になると、最終氷期の間に衰退していた対馬暖流が日本海へ流入を開始した。

 対馬暖流は、温暖化に伴いながら北上し、現在のように本格的な流動を始めた約8千年前には、噴火湾から石狩低地帯北部付近にまで到達した。約7千年前には、宗谷海峡としてオホーツク海から道東に及んだ。その結果、冬季に大陸から吹く乾燥した冷たい季節風(モンスーン)が、日本海を渡る間に対馬暖流の水蒸気を含み山脈にぶつかって積雪をもたらすと同時に、それまで乾燥していた日本列島に雪という水資源が供給されることになった。

 こうして、北海道では現在と同様に雪が降るようになり、特に、列島の日本海側は豪雪地帯となった。又、北海道における冬(寒さ)の象徴である流氷は、最終氷期極相期に一年中オホーツク海を覆っていたが、その後の温暖化と対馬暖流の流入によって、現在のように、冬期にだけ現れることとなった。

 約5.500年前になると海進が最盛期となり(縄文海進高潮期)、海水面が約3m前後上昇した。その結果、函館、室蘭、苫小牧、石狩、稚内、網走、釧路などの低地部に海水が進入し、内湾のような環境になった。それらの地域に分布するこの時期の堆積物からは、温暖水系種を含む自然貝殻層が産出し、当時形成された貝塚と共に海進最盛期の環境を示す重要な証拠となっている。

 この海進によって、北海道各地の沿岸には波浪の力で洞窟が形成された。そこは、やがて人々の生活場となった。北海道沿岸に見られる湖沼は、縄文海進とそれ以降におきた温暖期に海水が進入した時の名残である。

   過去2千年間の海進期と海退期

 近年、北海道やサハリンのオホーツク海沿岸域に分布する自然貝殻層や貝塚の古環境解析などによって、BC500〜紀元前後の弥生海進、8世紀と10世紀の平安海進、15世紀〜16世紀頃の室町海進期の存在が明らかにされている。

 日本における小氷期は、16世紀末に始まり19世紀中頃まで続いたとされている。又、17世紀以降の北海道では、道南の諸火山(駒ヶ岳、有珠山、樽前山)が激しく噴火し、石狩低地帯南部や日高地方などに火山噴出物を厚く堆積させ、生態系に大打撃を与えた。

 1669年に興ったアイヌ民族の決起(シャクシャインの戦い)と、小氷期による寒冷化及び火山噴火の影響は何らかの関わりを持っているとされている。

 このように、先史時代以降に起こった寒暖のサイクルと、それを背景としたいくつかの要因とが絡み合った結果、各時代に北海道で展開されていた文化の消長やそれを担った人々に多大な影響を与えた可能性がある。

 現在(完新世)は、氷期の後に訪れた時代であることから、「後氷期」と呼ばれている。しかし、数万年後には次の氷期が到来すると思われ、その間にも、北海道の姿は徐々にではあるものの変化しているのである。

新北海道古代史―1 旧石器・縄文文化(野村 祟  宇田川 洋編)

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