有珠山・昭和新山

壮瞥町・虻田町・伊達市( 洞爺湖南岸)

有珠山は洞爺カルデラの南壁上にできた後カルデラ火山です。 その活動は2万年前頃に始まり、 まず玄武岩ないし安山岩質の溶岩や スコリアの噴火によって円錐型の成層火山ができました。その後8,0007,000年前に山頂部が大崩壊を起こして、南麓に善光寺岩屑なだれが発生しました。

有珠火山は最近300年間で7回も噴火を起こしています。 16637月には2km3もの軽石を噴出し、火山灰は偏西風に流されて道東にまで至りました。 このとき火砕サージも発生し、山頂に小有珠溶岩ドームが形成されました。 176912月にも軽石噴火が有り、火砕流が発生しました。 18221月と2月の噴火では比較的大きな火砕流(文政火砕流)が発生し、南東〜西麓の森林を焼き尽くして周辺の家屋を消失させ、山頂ではオガリ山潜在ドームが形成されました。 18533月の噴火でも軽石を噴火し、降下軽石・火山灰が東方に広がりました。 火砕流も発生し、山頂部では大有珠溶岩ドームが出現しました。 19107月には、北麓で西北西〜東南東方向に2.7kmにわたって激しい 水蒸気爆発が発生し、全部で45個の爆裂火口ができました。 このときは北麓で明治新山が形成され、その形成直後から洞爺湖畔で温泉が湧きだすようになり、 この温泉を利用して現在の洞爺湖温泉ができました。

1943年〜1945年の噴火では有珠山の東側で隆起が始まり、そこから溶岩が顔を出して標高406.9mの 昭和新山が生じました。この溶岩ドームの成長過程は戦後末期の混乱期であったにもかかわらず、地元郵便局長の三松正夫氏によって詳細に記録され、 三松ダイヤグラムとして世界中に知られています。

197778年の噴火でも大量の軽石や火山灰を降下させ、197711月から7810月にかけては水蒸気爆発やマグマ水蒸気爆発が多発し、山頂では有珠新山が形成されました。 この噴火がおさまった後に、泥流が洞爺湖畔を襲っています。

2000331日に、マグマ水蒸気爆発が有珠山の西側山麓で始まりました。予想外の場所で起きた噴火活動と地殻変動が国道230号線を寸断し、 いくつもの火口が生じて西側山麓一帯の建造物は破壊され、植物は吹き飛ばされ、泥流も発生し、一時は付近住民全員が避難生活を余儀なくされましたが、 20007月末に北西山麓を中心とする地盤の隆起はほぼ停止し、噴火活動は沈静化に向かいました。 20028月現在、西山火口周辺には遊歩道が整備されて多くの観光客で賑っています。 噴火がもたらした被害は深刻なものでしたが、新たに生まれた観光資源が地元温泉街の復興に大きく貢献することでしょう。

北海道産学官連携センター

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