原人のフロンティア 北へ北へ 極寒の地へ進出

  四、五万年前頃、スンダランドから筏で船出したアボリジニの祖先は、幾多の犠牲を払った末、人間史上初めて幅100キロ近い海峡を越えてついにオーストラリアに上陸する。

 人類がアフリカを旅立って世界各地に散らばり、どうしても越えられない壁があった。それは海である。人類が「海」を克服した瞬間である。

 これに匹敵する偉業を成し遂げたのが、シベリアに進出した祖先たちであった。 アフリカを旅立った人類が最後まで克服できなかったのが、冬の間、雪と氷に閉ざされる高緯度の土地だった。中でもシベリアは、海と並んで、人類にとって最後まで残されたフロンティアだった。

 人類の長い歴史の中でようやく橋頭堡(きょうとうほ)が築かれたのは、マリタ遺跡に住居が営まれた約二万三千年前のことだったのである。

 一旦シベリアで地歩を固めるや、人類はその後、加速度的な速さでシベリア全域に広がっていく。そして凡そ一万三千年前には、なんと北緯70度を越える北極海沿岸の地域にまで進出する。もうそこから北に陸地は無い。

 そんな最果ての地まで、人類は一万年を越える大昔に到達していたのである。

北へ、北へ、と進んだ理由は何だったのか。その理由を物語る資料を、マリタ遺跡の出土品の中に見つけることができた。

  「マリタの主」メドベージェフ教授の研究室

 うず高く積まれた段ボール箱の中から、大きな動物の骨を取り出した。

マンモスの大腿骨である。

マンモス Mammoth 絶滅したゾウ目(長鼻目)ゾウ科の一群。長さ3.2mに達するそりかえった巨大な牙(きば)をもつ種もあった。太くて長い毛で体表がおおわれ、背中がいちじるしくもりあがっていた。寒冷な気候のもとで生息し、氷河時代の氷河が後退すると、北へ移動した。更新世( 第四紀)には、北アメリカ、ヨーロッパ、アジアに分布した。

フランスのクロマニョンの洞窟遺跡( クロマニョン人)には、マンモスを描写した壁画がのこっている。シベリア北部では、氷漬けの状態で保存されたマンモスがみつかっており、なかにはDNA( 核酸)が少量検出されたものもある。1980年に、中国の内モンゴル自治区で発見された松花江マンモスは体高5m、推定体重20t前後で、これまでに確認された最大種である。北アメリカのテイオウマンモスMammuthus imperatorも体高は4mをこえる。

一般には、マンモスといえば、プリミゲニウスゾウM.primigeniusをさすことが多い。現生するアジアゾウくらいの大きさで、1806年、シベリアのレナ川の河口付近から、はじめて完全な骨格が発掘された。小さな種もいたらしく、イタリアのシチリア島で発見されたドワーフマンモスは体高がわずか90cmしかない。

氷漬けのマンモスの子と想像図

古生物学者はまれに、左の写真のマンモスの子のように、ほとんど完全に近い状態の標本を発見することがある。このマンモスの子は、1977年にシベリアの北東部で氷漬けの状態で発見された。右の絵は、マンモスが生きていたおよそ1万年前のようすを想像してえがいたものである。

  マンモス(正確にはマンモスゾウ、ケナガマンモス)は、氷河期を代表する大型哺乳類である。身の丈3.5m。全身毛に覆われたその姿はいかにも恐ろしげだが、現在のゾウと同じく、ふだんはおとなしい草食の動物である。

 このマリタ遺跡から発掘されたマンモスの大腿骨は、単なる遺骨ではなかった。詳細に調べると、人が中の骨髄を食べた跡が残されていたのである。石器で叩き割り、ヘラのようなものを使って骨髄を掻き出したのではないかと、教授は考えている。又教授は長年の発掘から、当時の人が好んで食べたのは、主にマンモスの鼻や足の先、それに頭の肉だったのではないかと推測している。こうした部位を、恐らく生のまま食べていた。熱を通すと肉の栄養分が損なわれてしまうからである。

 これは単なる想像ではない。最近まで伝統的な生活を送っていた北方の狩猟民族たちも、肉は滅多に焼かない。精々保存のために燻製にするくらいである。彼らが最も好むのは生肉、それも新鮮な内臓や血である。そこにはビタミンなど、加熱すると壊れてしまう栄養素が豊富に含まれている。生肉を食べることで、野菜などを全く摂らなくとも栄養的に何ら問題ない生活を送ることができるのだ。

 更に、良質なタンパク質を含む高カロリーの肉を食べることで、脳の発達が促されたという説もある。脳は人間の臓器の中で最もエネルギーを消費する器官である。その働きを維持し、知能を発達させていくためには、植物から得られるカロリーだけでは不足する。動物の肉は、脳の機能を高め、人間たらしめる、不可欠の食料だというのだ。

 食料としてばかりか、脂からは燃料、毛皮からは衣服の生地、骨からは道具の材料と、捨てるところがない。

 太古の人びとにとって、動物は一頭で衣食住全てをまかなうことができる。中でも地上最大級の哺乳動物であるマンモスは、一頭を仕留めれば10人の集団がゆうに半年間食いつなぐことができたという。

 このマンモスが棲息した唯一の場所が、氷河期のシベリアからヨーロッパにかけての地域であった。

  人類がシベリアに進出した理由を解く手掛かりはここにある。マンモスに代表される大型の哺乳動物を追いかけて、この北の大地までやって来たのではないかという仮説が成り立つのである。

   

 マリタ遺跡からは、大量のマンモスの骨とともに、当時の人が描いたマンモスの絵が見つかっている。 狩の成功を祈ったものとも、マンモスに感謝を捧げたものとも言われている。マリタ遺跡の発掘を続けてきたメドベージェフ教授は、シベリアの人びとにとってもマンモスは特別な動物だったと考えている。

 永久凍土層 えいきゅうとうどそう Permafrost 少なくとも1年以上、2冬とその間の1夏をふくむ期間、温度が連続して0°C以下となっている土壌や岩盤のことを「永久凍土」といい、その永久凍土がみられる地層のことを永久凍土層という。永久凍土層は北極地域を中心としたアラスカやシベリアなど、およそ北緯45度までの高緯度地域や南極大陸など、広大な地域に分布している。ほとんどすべてが永久凍土によっておおわれているグリーンランドをふくめると、永久凍土が存在する地域(永久凍土地域)の面積は陸地の約15%である。そして、永久凍土層の厚さが数百メートルに達する地域もある。

チベット高原などは、中緯度ながら平均標高が4000m以上あるため永久凍土が存在する。これは山岳永久凍土とよばれ、日本では1970(昭和45)に山頂で発見された富士山をはじめ、富山県の立山や北海道の大雪山系白雲岳の周辺に分布している。

北半球の永久凍土層の年代を知る手掛かりとなるものに、こおった地中にうもれた無数のマンモスの遺骸(いがい)がある。マンモスはだいたい1万年前〜15000年前に絶滅しているが、それはもっとも最近の氷河期( 氷河時代)の終わり(第四紀のウルム氷期)と一致している。

  動物王国シベリア

氷河期を最後に絶滅したマンモスは、現代に生きる我々にも、特別な感慨を抱かせる動物らしい。

 遡って20世紀初め、ロシア帝国最後の皇帝となったニコライ二世も、マンモスに憑かれた人物の一人である。シベリアで凍漬けのマンモス見つかる、の知らせに、国費をはたいて科学アカデミーの研究者からなる大遠征隊を派遣し、10ヶ月後、都のサンクトペテルブルグに届けられたマンモスの死骸を実見した。

このとき遠征隊が持ち帰った冷凍マンモスは、現在、この街の動物学博物館に展示されている。全身の骨格は勿論、氷河期の人たちの好物だったという鼻や足先、さらには毛が付いたままの皮膚や心臓など、つい最近まで生きていたのでは、と錯覚するほどの生々しさである。

 こうして持ち帰られたマンモスの肉体を詳細に調べる中から、氷河期のシベリアの意外な素顔が浮かび上がってきた。

その研究材料になったのが冷凍マンモスの胃袋である。

マンモスは胃袋も巨大で、研究に使われたマンモスの場合、320キロもある重さがあった。それは胃袋に詰まっていた未消化の食べ物の重さである。その中身は全て植物。そうした植物の種を同定することで、氷河期のシベリアの環境が明らかになってきたのである。

 ロシア科学アカデミー植物学研究所で、マンモスの胃袋の中から取り出された植物を見せてもらった。恐らく噛み砕かれていて見ても分からないだろうという予想に反して、シャーレに入れられたサンプルは、見事に植物としての原形をとどめていた。人目で分かるのが、小さな松ぼっくり(カラマツの実)。細い小枝はシラカバやヤナギ。マンモスはこうした餌をあまり噛まずに飲み込んでいたのだろう。スゲやヨモギといった草の葉や、湿地に生えるコケも沢山食べていたようだ。

 カラマツやシラカバといえば、信州の高原などで見られる樹木である。ということは、当時のシベリアは日本の高原のような爽やかな気候だったのか。研究員が説明してくれた。

 「大陸性の気候のシベリアは、冬はものすごい寒さですが、夏は実に暖かいのです。今でも内陸の盆地では+40度近くまで気温が上がることがよくあります。氷河期もそれは同じでした。夏は気温が上がり、緑の草木に覆われました。動物の成長に適した豊かな環境だったのです」

 実際、氷河期のシベリアには、こうした豊かな環境を示す「オープン・ウッドランド」と呼ばれる地域が、幅広い帯びのように東西に連なっていた。「開けた森」。疎林の間に草原が広がるアフリカのサバンナのような場所だったと考えられている。

 絶滅してしまったこれらの大型動物は、氷河期のシベリアに特徴的な動物のグループということで、「マンモス動物群」と名づけられた。

 これまで発見された化石の量から見ると、マンモス動物群に属する動物の数や種類の多さは、当時の世界でも有数のものだった。氷河期のシベリアは、幾種類もの大型動物が闊歩する動物王国だったのだ。そしてシベリアに進出した我々の祖先の目当ても、この動物王国の動物たちだったのである。

(浦林 竜太 NHK教養番組部ディレクター 戸沢 冬樹 NHKスペッシャル番組ディレクター)