テフロクロノロジー
火山噴火史を降下火山灰層の編年を通じて明らかにしていく学問分野を、火山灰編年学(テフロクロノロジー)という。火山灰編年とは、火山灰の形成様式による瞬時性と広域性という特性を編年に利用するものである。ある火山灰が地層から発見されたとすると、その地層内に年代の面が決定できる。また、各地の地層中に同じ火山灰がみつかれば、広域にわたって同時間面だということが決定でき、地層の対比に有効な地層(鍵層:かぎそう)として利用できる。
火山灰編年学の適用範囲は多岐にわたる。地域的には、地形変動、土壌形成、埋蔵文化財、植生変化、もちろん火山活動の年代学的な面での問題解決にも利用されてきたし、深海底堆積物や氷床中のテフラの研究は、地球規模の気候変動や海水面変動などの規模や年代の解明に利用されつつある。
火山灰の堆積した地層のようす
写真は、伊豆大島の島内周回道路沿いにある地層切断面。ここには、伊豆大島の噴火によって堆積した、2万3000年、100回分の火山灰層が観察される。ちょうど木の年輪のように、一つの縞模様が1回の噴火活動に相当する。それぞれを観察することで、過去の噴火についてのさまざまな情報をえることができる。
火山灰 かざんばい Volcanic Ash 火山噴出物の中で粒子の直径が2mm以下のものをいう。粒子の大きさから命名されたので、爆発時にマグマから直接由来したガラス片や斑晶(はんしょう)片から、火山体をつくっていた火山岩の破片もふくまれる。
火山が噴火して、そのうちの細粒のものが噴煙として空中に放出され、風下側に散布され、空から地上に降下して堆積(たいせき)した火山灰を降下火山灰という。降下火山灰は、大きな火山噴火があった場合、その噴火にかかわったマグマの性質と噴火様式から特徴的な鉱物組成や形状、色調をもった火山灰層として広域にわたって地表面をおおう性質をもっている。このことを利用して、ある時代の地表面の同時性を証明することができる。
広域テフラ
1976年(昭和51)ごろから、約2万2000年前の九州姶良カルデラ(あいらカルデラ)から噴出した火山灰による広域テフラの存在が、日本列島やその周辺海域の広範囲にわたる降灰域の分布より明らかになった(→ シラス台地)。広域テフラの厳密な定義はされていないが、分布域がおおよそ5万km2以上のものを広域テフラという。広域テフラは、総噴出量に換算すると10〜1000km3以上になり、数百〜千キロメートル以上遠方においても地層としてのこるような大噴火に由来する。広域テフラは、大規模な降下火砕物が降下するようなプリニアン噴火や大規模火砕流堆積物、巨大火砕流といっしょに形成される降下火山灰が起源となっている。
日本列島では広域テフラの研究がすすんでおり、遠隔地間の地層や地形面対比や年代決定に利用されている。日本列島とその周辺地域における過去30万年間の広域テフラとして、ペクト山(白頭山)苫小牧(800〜900年前)、鬼界(きかい)アカホヤ(6300年前)、鬱陵隠岐(うつりょうおき)(9300年前)、姶良Tn(2万2000年前)、クッチャロ庶路(しょろ)(3万〜3万2000年前)、支笏(しこつ)第1(3万1000〜3万4000年前)、大山倉吉(4万3000〜5万5000年前)、阿蘇4(7万年前)、鬼界葛原(かつはら)(7万5000年前)、御嶽第1(8万年前)、三瓶木次(さんべきすぎ)(8万年前)、阿多(8万5000年前)、洞爺(とうや)(9万〜12万年前)、阿蘇3(10万5000〜12万5000年前)、クッチャロ羽幌(10万〜13万年前)、阿多鳥浜(23万〜25万年前)、加久藤(かくとう)(30万〜32万年前)がある。
降下火山灰層の研究
ひとつの降下火山灰層を最下部から最上部まで細かくみると、下部には粗粒のもの、上部には細粒のものが堆積している。この堆積順位は、噴火時のマグマの内部構造を示唆していて興味深い。マグマの上部にとどまっていたものは、噴火の初期段階に空中に放出され、マグマの下部にとどまっていたものは、噴火の後期に放出されると考えられる。したがって1枚の火山灰層の下層部には、マグマの上部にあったものが堆積し、上部には下部にあったものが堆積する。噴火直前のマグマ溜り(だまり)の上下をひっくりかえしたような関係で降下火山灰層が堆積していることになる。
これらも利用して、ひとつひとつの火山噴火の時代と噴火の性格を解明する研究がおこなわれている。火山の多い日本は、こうした研究には適した国で、研究もよくすすんでいる。