北海道の火山 と金剛山

  北海道の火山

  有珠山 うすざん 北海道南西部、洞爺湖(とうやこ)の南にある火山。洞爺カルデラの一部をなす小型の成層火山で、標高は732m。過去300余年間に8回の噴火をおこしている活火山である。支笏洞爺国立公園の一角を占める。

昭和新山

1943〜45年(昭和20)、有珠山(うすざん)の火山活動によって突然出現した火山岩尖(かざんがんせん:ベロニーテ)。現在も溶岩塔の間から噴気ガスがたちのぼり、赤茶けた岩肌とあいまって自然の脅威をみせつける。手前には昭和新山の観察と調査に半生をささげた三松正夫(みまつまさお)の銅像がたつ。

近年では1977年8月に山頂から噴火し、軽石が上空1万2000mまでふきあがった。その後1週間に20回ほどの爆発があり、山頂付近に3m、山麓(さんろく)にも数十センチメートルの軽石がふりつもり、農地、家屋、交通路、上水道などに被害がおよんだ。翌年にはマグマ水蒸気爆発が発生し、大量の火山灰が放出される。降雨時には軽石と火山灰が土石流となって山麓をおそい、3名の犠牲者が出た。火山活動は82年4月までつづきカルデラが拡大、景勝地でもあった火口湖の銀沼が消失し、有珠新山が生まれるなど、山は大きく姿をかえた。この一連の活動では火砕流の発生はみられなかった。2000年(平成12)3月31日には噴煙が3200mもあがる水蒸気爆発が洞爺湖温泉に近い西麓でおき、その後、北西麓で噴火がつづいた。虻田町や壮瞥町、伊達市などで住民が避難し、中心となる虻田町のほぼ全域での避難解除が実現するのに4カ月かかった。

  羊蹄山 ようていざん 北海道西部、札幌市の南西にある火山。後志支庁(しりべししちょう)の倶知安町、ニセコ町、真狩村、喜茂別町、京極町の境界に位置する。標高1898m。南東の尻別岳(しりべつだけ。1107m)、南西の昆布岳(1045m)などとともに羊蹄火山群を構成する。秀麗な山容から蝦夷富士(えぞふじ)とよばれる。支笏洞爺国立公園の一角を占める。

 おもに安山岩質の岩石からなる成層火山で、山すそがひろく、直径はおよそ12km。山頂部には大釜とよばれる直径約700m、深さ約200mの火口の跡があり、雪どけの季節には湖が生じる。山頂から四方に涸沢(からさわ)がきざまれている。

山麓ではミズナラ、イタヤカエデなどの広葉樹林、標高1200m付近まではトドマツ、エゾマツなどの針葉樹林、さらに上部にはハイマツ帯がつづく。ハイマツ帯は高山植物の宝庫でもあり、山頂付近ではキバナシャクナゲ、ミヤマエンレイソウ、コケモモなどが群落をつくっている。

  斜里岳 しゃりだけ 北海道東部、知床連山の西端にある山。網走支庁斜里町と清里町、根室支庁標津町にまたがり、長い裾野(すその)をもつ円錐(えんすい)状の火山である。舎利岳とも書き、アイヌ語ではオンネヌプリ(大きい山)とよばれた。標高1545m。深田久弥「日本百名山」のひとつ。

千島火山帯に属し、知床(しれとこ)火山群と阿寒火山群の中間地点に位置する成層火山である。山頂には複数の火口が存在し、山腹は多くの放射谷に浸食されて凹凸にとみ、岩塊や岩脈がいりくんだ地点には滝や洞窟がみられる。なだらかなうつくしい裾野が広く根をはり、対照的に山頂付近は急峻で複雑な山容をしめす。標高700m以上の地域は斜里岳道立自然公園に指定され、エゾマツ、トドマツ、ダケカンバなどの原生林におおわれる。チシマギキョウ、イチヤクソウなど高山植物も豊富で、高度に対応して植物の種類が変化する。

 支笏洞爺国立公園 しこつとうやこくりつこうえん 北海道南西部、石狩、胆振(いぶり)、後志(しりべし)の3支庁にまたがる国立公園。さまざまな種類の火山地形を主体に、支笏湖とその一帯の温泉群、有珠山と昭和新山をふくむ洞爺湖周辺、羊蹄山の3地域からなる。1949年(昭和24)に国立公園に指定された。面積は993.02km2。

  支笏湖は水深と水質の高さで名高いカルデラ湖(→ カルデラ)で、周囲には樽前(たるまえ)山、恵庭(えにわ)岳、風不死(ふっぷし)岳などの火山がそびえる。樽前山の山頂には1909年(明治42)の噴火で形成された溶岩ドームがのり、特異な外観をつくっている。

  洞爺湖もカルデラ湖で、中央に中島などの火口丘をもつ。湖の南には火山活動を盛んにおこなう有珠山と昭和新山がそびえる。蝦夷(えぞ)富士の異名をもつ羊蹄山はうつくしい円錐(えんすい)形の成層火山で、山麓(さんろく)には地下水がわきだしている

洞爺湖もカルデラ湖で、中央に中島などの火口丘をもつ。湖の南には火山活動を盛んにおこなう有珠山と昭和新山がそびえる。蝦夷(えぞ)富士の異名をもつ羊蹄山はうつくしい円錐(えんすい)形の成層火山で、山麓(さんろく)には地下水がわきだしている。

支笏湖

支笏湖は、北東を恵庭岳(えにわだけ)、南東を風不死岳(ふっぷしだけ)にはさまれた繭(まゆ)形のカルデラ湖である。周囲は急崖(きゅうがい)で、千歳川の流出口のある東岸に道内有数のモラップキャンプ場など、観光施設が集中している。写真正面にみえる山は風不死岳(右)と、溶岩ドームをいただく三重式火山の樽前(たるまえ)山。

 駒ヶ岳 こまがたけ 北海道南西部、渡島半島東部に位置する火山。標高1131m。全国各地に駒ヶ岳があるため、北海道駒ヶ岳あるいは渡島駒ヶ岳として区別する。渡島富士ともよばれる。

 成層火山で、頂上部には東にひらいた直径2kmほどの馬蹄形の火口原が、北側には砂原岳(さわらだけ。1113m)がある。火口原の中央に、1929年(昭和4)の噴火で生じた直径約250mの昭和四年火口がある。火口原を北西から南北に42年の水蒸気爆発で生じた亀裂がはしり、北西端に爆裂火口がある。大沼湖畔から南側中腹にかけてダケカンバなどの落葉広葉樹林が広がる。標高800m以上は高山植物帯となり、ウラジロタデ、ヒメスゲなどの群落がみられる。

大雪山 たいせつざん 北海道中央部、石狩山地の北部にある火山群。北海道の最高峰である標高2290mの旭(あさひ)岳を主峰とする火山群の総称。「だいせつざん」ともよばれる。比布(ぴっぷ)岳(2197m)、北鎮(ほくちん)岳(2244m)、白雲(はくうん)岳(2230m)などがつらなり、北海道の屋根とよばれる。日本でもっとも広い国立公園である大雪山国立公園の中心である。

大雪山遠望

大雪山は、北海道のほぼ中央にそびえる、旭岳(2290m)を主峰とする火山群。2000m級の山々がつらなり、「北海道の屋根」ともよばれている。

現在も活発な活動がつづいている火山で、御鉢平(おはちだいら)カルデラの内部の硫気孔や噴気孔からは噴煙があがる。北東麓(ほくとうろく)には柱状節理(→ 節理)で有名な層雲峡がある。旭岳には爆裂火口があり、西側斜面には旭平や沼の平などの平坦面が広がり、周辺には姿見の池、鏡池などの火口湖が点在する。

標高1700m以上では高山植物の群落がみられる。氷河期の遺存種であるナキウサギ、エゾライチョウや、ダイセツタカネヒカゲ、アサヒヒョウモンなどの高山チョウもみられる。日本最大の哺乳動物であるヒグマが生息する。

金剛山地 こんごうさんち 大阪府と奈良県の境につらなる南北約18kmの山地。北は西流する大和川によって生駒山地とわかれ、南は西に向きをかえ紀見峠(きみとうげ)で東西にはしる和泉山脈につづく。標高1125mの金剛山を主峰とし、約5km北には葛城山(かつらぎさん。標高959m)、北端には二上山(にじょうさん。標高517m)がある。山地全体を葛城山とよぶ場合もある。

北端には第三紀中新世に噴出した二上火山群があるが、浸食により火山地形は明瞭ではなく、火山灰が固結してできた凝灰岩が露出し、屯鶴峰(どんづるぼう)とよばれる奇景をみせる。その南には葛城山を中心とする山地、水越峠をこえた金剛山を中心とする山地がつづき、標高はしだいに高くなる。断層による傾動地塊(けいどうちかい)あるいは基盤の褶曲(しゅうきょく)による傾きのためか、西の大阪府側が緩やかで東の奈良県側が急傾斜になっている。山地の大部分は花崗岩からなるが、中央構造線と並行して紀見峠にいたる南部には和泉層群に属する礫岩層(れきがんそう)がみられる。

雄岳と雌岳の2峰からなる二上山は、石器の原料として利用されるサヌカイトの産地で、北部からは旧石器時代の遺跡が多数発見されている。またここでとれる凝灰石は、古墳などの建築用材にもちいられた。北麓(ほくろく)の穴虫峠(あなむしとうげ)や南麓の竹内峠は古代から河内と大和をむすぶ要路となり、雄岳の山頂は大津皇子の埋葬地とされる。

7世紀に役行者が金剛山の東麓に生をうけ、山中で修行したことから、葛城山にかけての一帯は修験道の霊場となった。金剛山には役行者の開基とされる転法輪寺や、一言主神(ひとことぬしのかみ)をまつる葛木神社がある。

中世には、金剛山の西麓が楠木氏の本拠地となった。1331年(元弘元・元徳3)赤坂城で挙兵した楠木正成は、鎌倉幕府軍の猛攻をのがれ、標高約670mの山中に難攻不落の千早城をきずいた。この城は、建武の新政後も正成の子の正行(まさつら)、正儀(まさのり)にひきつがれ、92年(元中9・明徳3)畠山基国によって落城するまで南北朝史の主役でありつづけた。赤坂城跡や千早城跡は国の史跡に指定されている。

択捉島 えとろふとう 北海道東端の根室半島納沙布岬の北東約150kmにある島。千島列島南部に位置し、列島中もっとも大きい。いわゆる北方領土の島のひとつ。北東から南西方向に細長い形をしており、長さ約200km、幅約6〜30km、面積3182.65km2。

千島火山帯(→ 火山帯)に属し、1200〜1500m級の火山がつらなる。海岸線は比較的出入りにとみ、良港も多い。北洋漁業の基地であり、サケ、タラ、カニを中心とする漁業が盛んであった。

1798年(寛政10)に近藤重蔵らが島に到達して「大日本恵登呂府」の標柱をたて、99年には高田屋嘉兵衛により航路がひらかれた。1945年(昭和20)のソ連軍侵攻までは、留別(ゆべつ)村、紗那(しゃな)村、蘂取(しべとろ)村として根室支庁に属していた.

羅臼岳 らうすだけ 北海道東部、知床半島の中央にそびえる山。根室支庁羅臼町と網走支庁斜里町との境に位置する円錐形(えんすいけい)の成層火山(→ 火山地形)で、標高は知床半島でもっとも高い1661mである。古くはチャチャヌプリとよばれていた。深田久弥「日本百名山」のひとつ。

羅臼岳

斜里町と羅臼町の境にある標高1661mの火山。秀麗な円錐形(えんすいけい)の山容から知床富士ともよばれる。岩尾別川(いわおべつがわ)、幌別川(ほろべつがわ)、羅臼川、知床五湖、羅臼湖などの水源となり、山頂近くの羅臼平には高山植物の群落がある。写真は、斜里町側からのぞむ羅臼岳。下方の林にエゾジカの姿がみえる。

新第三紀層の基盤をおおう安山岩質溶岩や集塊岩などの火山噴出物が山体を形成し、高原状の地形に釣鐘形の円頂丘が突出して安定した形の山容をみせる。南の斜里岳や遠音別岳(おんねべつだけ)、北の硫黄山(いおうざん)や知床岳とともに知床半島の脊梁(せきりょう)をなしている。山麓(さんろく)から針広混交林、ダケカンバ、ハイマツと植生の垂直分布がみられ、山頂付近の羅臼平はシレトコスミレ、エゾコザクラ、チングルマなどの高山植物群落がお花畑をつくる。山稜には池や雪渓も散在し、厳寒の気候と複雑な地形は長期間にわたって人を遠ざけたため原始的な景観が色こくのこる。国の天然記念物であるオジロワシ、オオワシ、シマフクロウなどの動物が生息している。知床国立公園域に属し、一帯は2005年(平成17)7月に「知床」として日本で3番目の世界自然遺産(→ 世界遺産)に登録された。

石狩山地 いしかりさんち 北海道中央部にあり、大雪・十勝火山群、然別(しかりべつ)火山群をふくむ山地。最高峰は北海道第1の高峰である旭岳(2290m)。北は北見山地に接し、南は日高山脈につづく。北海道の屋根とよばれ、北部では上川(かみかわ)支庁と網走(あばしり)支庁、南部では上川支庁と十勝(とかち)支庁をわける。大雪山国立公園に指定されている。

北見峠付近から、ニセイカウシュッペ山(1883m)、旭岳を主峰とする大雪連峰、石狩岳(1967m)、トムラウシ山(2141m)、十勝岳(2077m)、下ホロカメットク山(1668m)、佐幌(さほろ)岳(1059m)をへて狩勝峠にいたる。日本海斜面、太平洋斜面、オホーツク海斜面の分水界をなし、西へ石狩川、東へ常呂(ところ)川、南へ十勝川がながれる。

石狩平野 いしかりへいや 北海道西部の平野。石狩支庁と空知(そらち)支庁にまたがり、日本では関東平野についで広い。

北を天塩山地、東を夕張山地、西を暑寒別(しょかんべつ)火山群、南を支笏湖周辺の火山群でかぎられる。石狩川が多くの支流をあつめて北東から南西に蛇行しながらながれており、各地に三日月湖(河跡湖)や分流をつくっている。かつて太平洋にながれていた石狩川は、火砕流によって日本海側に流れをかえるようになったと考えられる。平野は、上流部の空知低地帯と下流部の沖積平野にわけられる。各河川は氾濫をくりかえし、その背後に湿原ができ、泥炭層が厚くつもっている。

明治初期に屯田兵が入植して開拓がはじまったが、湿原と泥炭地、きびしい気候がわざわいして開発はすすまなかった。初めは畑作が中心だったが、大正期にはいって大規模な土地改良と用水の確保、品種改良がおこなわれ、稲作が可能になった。現在では、耕地面積の3分の2あまりを水田が占め、農家1戸当たりの平均耕地面積も全国有数の経営規模をほこる稲作地帯となっている。

支笏湖 しこつこ 北海道西部、千歳市の西端にあるカルデラ湖。支笏洞爺国立公園内にあり、田沢湖についで日本第2の深さをもつ。面積78.76km2、最大水深363m、水面標高250m。

樽前(たるまえ)山、恵庭(えにわ)岳などの支笏火山群の山々が湖岸にせまり、原始的景観をもつ。冬季も凍結せず、洞爺湖とともに日本の不凍湖の北限となっている。

1894年(明治27)に阿寒湖からヒメマスを移殖し、人工孵化(ふか)により繁殖させた。これはアイヌ語カパチェップの略称チップの名で親しまれ、6〜8月の解禁期にはチップ釣りでにぎわう。また、周辺にはヒメマス料理をだす食堂や旅館がたちならぶ。丸駒温泉やオコタン温泉のほか、大規模なキャンプ場、公営ユースホステルなども付近にあり、東畔には遊歩道、テニスコートなどが整備された国民休暇村がある。

支笏湖

支笏湖は、北東を恵庭岳(えにわだけ)、南東を風不死岳(ふっぷしだけ)にはさまれた繭(まゆ)形のカルデラ湖である。周囲は急崖(きゅうがい)で、千歳川の流出口のある東岸に道内有数のモラップキャンプ場など、観光施設が集中している。写真正面にみえる山は風不死岳(右)と、溶岩ドームをいただく三重式火山の樽前山。

黒曜石

黒曜石は加工が比較的容易なため、昔から武器や道具につかわれていた。おもな構成元素はどこで産出したものでもほとんど同じだが、わずかにふくまれる微量元素が産地によってことなることがある。そのため、どこの火山から産出されたものかを正確に知ることができる。考古学者は、昔の物資の流れをつきとめるためにこれを利用している。

阿寒湖と雄阿寒岳

阿寒湖は、約1万年前、阿寒カルデラの中に出現した雄阿寒岳の火山活動によって形成された堰止湖。マリモの生息地として知られ、またアイヌの神魚といわれるヒメマスの原産湖としても有名である。

上川町 かみかわちょう 北海道中央部、上川支庁中部にある上川郡の町。北は士別市と接する。石狩川最上流域に位置し、石狩山地とその北部にある大雪火山群(→ 大雪山)、北見山地にかこまれた山岳地帯からなる。気候は昼夜の気温差、夏季と冬季は寒暖の差が大きい内陸性気候。層雲峡や大雪山系の雄大な自然を擁する道内を代表する観光地。1952年(昭和27)町制施行。面積は1049.24km2。人口は4986人(2004年)。

JR石北本線が北部を東西にはしり、旭川紋別自動車道や国道39号、273号、333号が交差する交通の要衝。1895年(明治28)本田喜市らが宮城県から入植して開拓がすすんだ。江戸末期に発見された層雲峡温泉は、1915年(大正4)湯小屋が建築され、のちに大温泉郷となる礎がきずかれている。町域の9割以上を森林が占めることから、かつては林業の町として知られたが、製材業は輸入材などにおされ、近年は低迷している。少ない耕作地では、もち米、ジャガイモ、トウモロコシ、メロンなどを栽培し、肉用牛の「大雪アンガス牛」も生産している。昭和初期からニジマスやヤマベ(→ オイカワ)の養殖がおこなわれている。

大雪山一帯は、原生的な自然環境をのこす大雪山国立公園の中心地である。なかでも層雲峡は大函(おおばこ)、小函(こばこ)とよばれる柱状節理の絶壁、雄大にながれおちる銀河の滝、流星の滝などの変化にとんだ峡谷美がつづく景勝地で、ほかに銀泉台や黒岳など紅葉や眺望の名所にもめぐまれている。観光基地となる温泉地も多く、大規模な旅館やホテルがたちならぶ層雲峡温泉をはじめ、愛山渓温泉(あいざんけいおんせん)、大雪高原温泉などがある。毎年、層雲峡で開催される冬季の層雲峡氷瀑まつり(そううんきょうひょうばくまつり)と夏季の峡谷火まつりには、全国から多くの観光客がおとずれる。

倶知安町 くっちゃんちょう 北海道西部、後志支庁(しりべししちょう)中央部にある虻田郡(あぶたぐん)の町。後志支庁所在地。羊蹄山とニセコ連峰にはさまれ、東部から南部へ尻別川がながれる。北海道随一の豪雪地帯で、年間最大積雪量が2mをこえることもある。1916年(大正5)町制施行。町名はアイヌ語のクッシャンイ(くだのような所をながれでる所)がクッシャニに転じ、さらにクッチャンになったという。面積は261.24km2。人口は1万6004人(2003年)。

1892年(明治25)、倶知安原野への和人の入地がはじまり、94年には御料林が開放されて本格的な開拓につながった。南部の山岳地帯は多くのスキー場がひしめくウィンター・スポーツの名所で、1960年代からリゾート開発が進展している。東洋のサンモリッツの異名をもち、73年(昭和48)にスキーの町を宣言してからは観光関連の産業にたずさわる労働者が急増した。また、日較差の高い気温と火山灰地帯の土壌を利用したジャガイモの大産地として全国的に有名で、片栗粉やオブラートなどジャガイモの加工品製造もおこなわれている。

支笏洞爺国立公園の一部に属する羊蹄山は、頂上付近に国の天然記念物に指定される高山植物群落、西麓(せいろく)に火口湖の半月湖があり、散策路が整備されている。ニセコアンヌプリを中心にした南西部はニセコ積丹小樽海岸国定公園(ニセコしゃこたんおたるかいがんこくていこうえん)の一中心で、ニセコ国際ひらふスキー場をはじめとする全国屈指のスキーエリアであるとともに、温泉や公園、ペンション街がそろう観光地。市街南郊には日本にスキーを伝授したオーストリア軍人のレルヒをしのぶ、レルヒ記念公園がある。

積丹半島 しゃこたんはんとう 北海道西部、北に石狩湾をいだき日本海に突出する半島。石狩湾にそそぐ余市川流域から日本海沿岸の岩内平野をわける稲穂(いなほ)峠付近を基部とし、北西に約45kmのびる。

第三紀層の基盤の上に、半島最高峰の余別(よべつ)岳(1298m)や積丹岳、珊内(さんない)岳などの火山群が第四紀初めに噴出、基部からつらなる八内(はちない)岳、熊追(くまおい)山などとともに脊梁(せきりょう)山地を形成し、半島西北端の神威(かむい)岬と東北端の積丹岬にいたる。第三紀の安山岩質集塊岩が海食をうけ、海岸には海食崖(かいしょくがい)や海食洞、奇岩の岩礁がつづき、独特の景観をみせる。

沿岸はかつてニシンの好漁場としてさかえ、入り江ごとに小漁村が点在するが、ニシン漁がすたれた現在、ヒラメ、カレイ、イカ、ホッケなどの沿岸漁業と水産加工が主産業となっている。

鉱物資源が豊富で、かつては半島基部の仁木町の大江鉱山で金、銀、マンガン、鉛、亜鉛など、古平町の稲倉石鉱山で金、銀、マンガンが採掘され、泊村には茅沼炭鉱があったが、現在はすべて閉山している。泊村には北海道電力泊原子力発電所があり、1号機は1989年(平成元)、2号機は91年から稼働している。

けわしい地形にはばまれ、海岸沿いに半島をめぐる国道229号の整備は困難をきわめたが、1996年11月に積丹町沼前から神恵内村川白(かわしら)までの約8.1kmがようやく開通し、半島を一周することが可能となった。しかし一方では余市町北西部の豊浜トンネルで96年2月、大規模な落石事故が発生、死者多数をだす大惨事となり、地盤の悪さと国道の安全管理があらためて問題となった。

虻田町あぶたちょう 北海道南西部、胆振支庁(いぶりしちょう)西部の虻田郡の町。内浦湾と洞爺湖にはさまれた丘陵地からなり、南は伊達市に接する。1938年(昭和13)町制施行。面積は66.85km2。人口は9449人(2003年)。

支笏洞爺国立公園の一中心をなしている洞爺湖の南岸に、道内有数の湯量と温泉街の規模をほこる洞爺湖温泉がわき、周辺の有珠山や昭和新山などをめぐる観光ルートの基地として知られる。大正期の開湯以来、順調な発展をみせた温泉地だが、1977年と2000年の有珠山噴火では大きな打撃をうけ、再整備がおこなわれた。町内就業者の約7割がサービス業など第3次産業に従事する産業構造を形成している反面、野菜や豆類などの栽培と酪農をいとなむ農業と、ホタテガイ養殖を主体とした漁業も盛ん。温泉街にある火山科学館は有珠山に関する資料や記録の展示をおこなう。

国の史跡の入江・高砂貝塚は縄文時代の遺跡である。江戸時代は東蝦夷地のアブタ場所に属し、1799年(寛政11)の幕領化にともなって運上屋はアブタ会所となる。1805年(文化2)には官営の有珠虻田牧場が開設され、馬の生産がはじまった。明治に入るまで役人と牧場関係者以外の居住者はほとんどがアイヌであったが、開拓使出張所の設置などによりしだいに和人が入植。三豊(みとよ)地区では92年(明治25)鉄鉱鉱床が発見され、虻田鉱山の鉱業集落としてさかえたが、1971年の閉山後は静かな農業地帯となっている。

礼文町 れぶんちょう 北海道北部、宗谷支庁礼文郡の町。稚内市の西方約50kmの日本海上にうかぶ礼文島と、その属島からなる。南東約10kmの沖合に利尻島があり、利尻礼文サロベツ国立公園にふくまれる。1959年(昭和34)町制施行。面積は81.33km2。人口は3568人(2003年)。

礼文島は東西約6km、南北約21kmの南北に細長い島で、丘陵状の地形のほぼ中央には島の最高峰である礼文岳(490m)がそびえる。東側は比較的傾斜が緩やかで海岸線にいたる。利尻島が火山島であるのに対して、礼文島は海底の隆起によって形成された。北部と南部に高さ100m前後の海岸段丘がみられる。各所に安山岩、玄武岩が露出し、南西部には桃岩とよばれる奇岩がある。ケイ石、火打石(レブンメノウ)などを産出する。原生林の発達がみられず、草地あるいは灌木(かんぼく)が多い。利尻島と同じく高山植物の宝庫で、桃岩周辺は北海道の天然記念物に指定され、約200種の高山植物の群落におおわれている。なかでもレブンアツモリソウ、レブンウスユキソウは貴重種である。

集落は北部の船泊湾周辺と南部の香深(かぶか)地区を中心とした東海岸に集中している。おもな産業は漁業で、明治期以降ニシン漁によってさかえ、北海道や東北の各地からヤン衆とよばれた季節労働者をあつめておこなわれた。しかし、第2次世界大戦後はニシンの漁獲量が激減し、1954年の水揚げを最後にとだえ、現在はホッケ、タラ、アワビ、コンブ、ウニなどの沿岸漁業と前浜漁業が中心となっている。また、「さいはての島」というイメージを商品として、景観美と高山植物をあわせた観光産業にも力がそそがれている。北端の礼文空港と南部の香深港が稚内への玄関をなし、利尻島ともフェリーでむすばれている。

知床岬 しれとこみさき 北海道東部、オホーツク海につきでた知床半島の最先端にある岬。東経145度21分、北緯44度20分に位置する。国後島のルルイ岬と相対し、根室海峡の北口にあたる(→ 北方領土問題)。岬端には円形で黒と白の横線がえがかれた知床岬灯台(高さ102m、光達距離約46km)がある。

知床岬

オホーツク海に突出する知床岬。写真では高低2段の海岸段丘からなるようすがはっきりわかる。複雑にいりくんだ海岸線には多くの岩礁がつらなり、殺伐とした北方独特の景観をみせる。「最後の秘境」と称されるこの原生的な環境や景観をまもるため、人の立ち入りを規制するなど、各種行政機関の監視のもとで保全活動が展開される。海上はるかにうかぶ島影が国後島である。

標高が20〜40mと75〜100mの2段の海岸段丘が発達し、火山性の角礫岩(かくれきがん)からなる海岸線は風や潮が浸食して形成した断崖(だんがい)や絶壁がつらなっている。周辺海域は浅く、風船岩や夫婦岩(めおといわ)などの奇岩、暗礁が散在する。冬季は流氷がながれついて凍結するが、夏季には台上が草原となりハマナス、エゾイラクサなどの植物が繁茂する。ウミウ(→ ウ)、オジロワシ、オオワシなどが海食崖でみられるほか、ヒグマやエゾシカ(→ ニホンジカ)、アザラシの生息も確認されている。南西約1kmの段丘には穴住居跡や土器、石器などが発見された、続縄文文化期〜オホーツク文化期の知床岬遺跡がある。

津軽半島 つがるはんとう 青森県の西部から北につきでた半島。東津軽郡、北津軽郡、つがる市、五所川原市、青森市にまたがる。西は日本海に面し、北は津軽海峡をはさんで北海道、東は陸奥湾をはさんで下北半島とむかいあう。北部から南東部にかけては、増川岳や袴腰岳(はかまごしだけ)など標高300〜700mの山々がつらなり、津軽山地を形成している。南西部には津軽平野が広がり、平野を北流する岩木川が潟湖の十三湖にそそぎこむ。

半島の地質は、大部分が第三紀層からなり、津軽山地の一部には第三系の火山岩類が分布する。また南西部には第四系の沖積層、北西部の小泊岬(こどまりみさき)には先第三系の地質もみられる。津軽山地とほぼ平行に、津軽断層などいくつかの断層がはしっている。北部の海岸には海岸段丘が発達し、西部には七里長浜(しちりながはま)という砂浜がつづく。

同じ県内でも、太平洋側の地域より対馬海流の影響をうける津軽半島側にタブノキなどの暖地性の植物が多い。津軽山地には、日本三大美林のひとつにかぞえられるヒバ(ヒノキアスナロ)林があり、これをもちいて良質の木材が産出されている。また標高400m以上の山地にはブナ林がみられる。年平均気温は10°C前後で、津軽海峡周辺の地域はやませというつめたい偏東風によって、夏季に冷害をおこすことがある。

早来町 はやきたちょう 北海道南西部、胆振支庁(いぶりしちょう)東部の勇払郡(ゆうふつぐん)の町。北西は千歳市、西から南にかけては苫小牧市に接している。西部に馬追丘陵(まおいきゅうりょう)、南部には勇払平野が開け、中央を安平川(あびらがわ)がながれる。1957年(昭和32)町制施行。面積は154.61km2(一部境界未定)。人口は5442人(2003年)。

1889年(明治22)ウマの放牧場が設置されてから本格的な開拓がはじまり、北海道炭礦鉄道室蘭線(現JR室蘭本線)の開通によって入植者が急増した。火山灰土壌が広範囲に広がるため作物の育成には適さず、大正期から酪農を導入した酪農先進地帯で、新栄(しんえい)地区には全国一の規模をほこる家畜市場と共進会場がある。チーズやハム、ソーセージなどの加工食品は特産物。軽種馬(競走馬)を生産する牧場も多く、テンポイントやマルゼンスキーなどの名馬を世におくりだしている。また、札幌市を母体とした道央テクノポリスの一角を占め、新千歳空港に近い地理条件を生かして2つの工業団地が造成された。丘陵地には6つのゴルフ場がつくられ、市街の南西郊に冷泉ながら湯治効果が高いという鶴の湯温泉がわく

十勝平野 とかちへいや 北海道南東部、十勝支庁に広がる平野。帯広市を中心に十勝支庁の大部分を占め、道内では石狩平野についで広い。

東西を白糠(しらぬか)丘陵と日高山脈、北を石狩山地にかこまれる。十勝川とその支流は流域に沖積平野を形成しながら南東流しており、中心部にあたる帯広市付近がもっとも低くなっている。周辺の洪積台地は砂礫(されき)層の上を火山灰がおおっているため土地がやせており、冬の寒さのため土壌浸食がおきやすい。

カムチャツカ半島 カムチャツカはんとう Poluostrov Kamchatka アジア大陸北東端、ロシア連邦のカムチャツカ州に属する半島。東側のベーリング海、太平洋と西側のオホーツク海とをわけながら、北北東から南南西方向に長くのび、南端は千島(クリル)列島につらなる。長さ約1200km、幅約100〜450km、面積は約37万km2で、日本の総面積にほぼひとしい。中央山脈と東山脈が並行してはしり、この2つの山脈の間の狭長な平野部を半島最長のカムチャツカ川が北流している。山脈は環太平洋造山帯の一環で、東山脈にある半島最高峰のクリュチェフスカヤ山(活火山、4750m)をはじめ100以上の火山(約30が活火山)があり、温泉もわく。東海岸は山がせまって湾入にとみ、州都で港湾都市のペトロパブロフスクカムチャツキーもここにある。半島最大の産業はサケ、マス、タラ、ニシン、タラバガニなどの漁業と水産加工。カムチャツカ川沿岸の平野では野菜などが生産され、北部には毛皮獣を飼育する農場がある。

カムチャツカ半島の火山

火山の多い山脈がカムチャツカ半島を縦断しており、その大半が活火山である。この地域の大部分を深い森がおおっていて、毛皮猟の対象となるクマ、クロテン、キツネ、ビーバー、カワウソが、また海にはアザラシなどが多くすむ。カムチャツカ半島は鉱物資源にもめぐまれているが、過酷な気候のために採掘は困難である。

カムチャツカ半島の温泉

東シベリア高地から指のようにつきでたロシアのカムチャツカ半島は、寒い辺境の地で、その谷間には間欠泉と温泉が無数にある。

女満別町 めまんべつちょう 北海道北東部、網走支庁網走郡北部の町。北は網走市に接し、市町境に網走湖がよこたわる。大部分は藻琴山(もことやま)の火山灰がおおう洪積台地からなり、網走川と女満別川が南北に貫流する。1951年(昭和26)町制施行。町名はアイヌ語のメムアンペッ(泉のわく川)によるという。面積は159.24km2。人口は5959人(2003年)。

高い日照率と肥沃(ひよく)な平坦地にめぐまれ、ムギやテンサイ、ジャガイモなどを産する畑作主体の農業が主産業である。河川流域の低地は稲作の北東限地帯で、丘陵地では肉牛飼育や酪農もおこなわれる。冬のワカサギ氷下漁が名高い網走湖は、ワカサギやコイなどの養殖に重点をおいた内水面漁業をいとなむ。中部にジェット化された女満別空港を有し、札幌や東京、名古屋、大阪などの大都市とむすぶオホーツク圏の空の玄関口として機能している。

網走湖一帯は網走国定公園に属し、南岸に観光拠点となる女満別温泉がわく。南東岸の女満別湿生植物群落はヤチダモやハンノキなど自然林の足元にミズバショウが大群落を形成し、国の天然記念物に指定。近くに日本有数の規模をもつアオサギのコロニーもある。

十勝川 とかちがわ 北海道南東部をながれる川。十勝火山群の主峰である十勝岳(2077m)東斜面に源を発して南東流し、豊頃町で太平洋にそそぐ。一級河川(十勝川水系)。長さ156kmは石狩川、天塩川につぎ道内3位、流域面積9010km2は天塩川をうわまわり第2位である。

上流は大雪山国立公園域の原生林をぬけて、十勝、岩松、屈足(くったり)の発電用ダムにはいり、中流からは広大な十勝平野を悠然とながれる。下流部ははげしい蛇行をくりかえす氾濫(はんらん)地帯であったため、旧河道跡が三日月湖となって点在し、泥炭質の湿地帯も広がる。河口はかつて大きく2つに分流しており、現在の浦幌(うらほろ)十勝川が本流をなし、現本流は大津川とよばれていた。1963年(昭和38)に改修工事がおこなわれ、浦幌十勝川が切りはなされたことで大津川が本流となった。1000以上の支流をもち、とくに中流からは然別(しかりべつ)川(61.5km)、音更(おとふけ)川(83.7km)、札内(さつない)川(64.2km)、利別(としべつ)川(145.8km)などいずれも規模の大きい河川が合流する。

利尻礼文サロベツ国立公園 りしりれぶんサロベツこくりつこうえん 北海道北部、日本海にうかぶ利尻島、礼文島と北海道本土の沿岸部にあるサロベツ原野からなる国立公園。日本最北の離島にみられる特異な地形と動植物相、および広大な湿原にめぐまれる。1974年(昭和49)に利尻礼文国定公園がサロベツ原野をくわえて改称し、国立公園に昇格した。面積は212.22km2。

利尻島

礼文島南端からのぞむ利尻島。島の大部分を占める利尻山(1721m)は、そのうつくしい山容から「利尻富士」ともよばれている。海上に突出した円形の火山島で、沓形岬(くつがたみさき)、天望山、仙法志御崎(せんぽうしみさき)、姫沼などの景勝地があるほか、山頂付近ではチシマザクラなどの高山植物がみられる。

利尻島と礼文島は隣接はしているが、まったくことなる地形、地質をみせる。円形の利尻島は円錐(えんすい)形の秀麗な火山からなり、広い裾野(すその)が海岸付近までのびる。一方、南北に細長い礼文島は古い堆積(たいせき)岩からなる平坦な島で、西岸には黒い岩肌の海食崖が林立する。サロベツ原野の海岸部は砂丘列が発達し、内側は学術的にも貴重な泥炭湿地をつくる。原野の南部にはペンケトウ(ペンケ沼)、パンケトウ(パンケ沼)など潟湖がみられる。

摩周湖 ましゅうこ 北海道東部、釧路支庁弟子屈町にあるカルデラ湖。摩周火山が大陥没して底に水がたまって生まれた湖。面積19.11km2、標高355m、最大水深211.5m。阿寒国立公園の一角を占める。

湖形は半月形に近く、湖岸は500〜700mの断崖(だんがい)になっている。流入河川や排水河川はない。

かつてはバイカル湖をこえる世界一の透明度(41.6m)を測定したこともあったが、ニジマスの放流などにより、現在は28mに低下した。しかし、よく澄んだ藍(あい)色の湖面の美しさは道内随一とされる。また、霧がよく発生し、全景をながめられる日が少ないことも神秘的な印象を強めている。初夏の新緑、紅葉の秋ともに美しく、冬季には湖岸で樹氷がみられる。毎年9月中旬には摩周観月会がひらかれる。

アイヌの人々は摩周湖とその周辺を神の場所としてきた。摩周湖はカムイトー(神の湖)、南東壁の摩周岳(857m)はカムイヌプリ(神の山)、湖にうかぶ中島(弁天島)はカムイシュ(神の姿の老婆)とよばれる。湖にはカムイチップ(神の魚)が生息し、トーコロカムイ(湖の神)が湖をつかさどる。カムイシュがだまし討ちにあってにげている途中、摩周湖のほとりにたどりつき、カムイヌプリにたのんで宿をかしてもらい、湖の中にすみ、そのまま島になったのが中島であるとされる。