ベーリンジァ ベーリング陸橋

ベーリンジア・ベーリング陸橋

シベリア北東部から最初の移住者たちがベーリング海峡をこえてアラスカにきたのは、現在のところ、1500014000年前とする説がもっとも確実とされている。しかし、3万年以上前とする説や25000年前ごろとする説などもある。先住民らは第4氷河期の海退( 海進と海退)によってできたベーリンジア(ベーリング陸橋)をわたってきたが、そのとき旧石器時代末期の骨角器や打製石器の製作技術をもっていた。おそらくは100人程度のバンドという集団をつくり、魚をとったりトナカイやマンモスの狩猟をしてくらしていた。ずっとのちのイヌイットやエスキモーのように、皮や毛皮でアノラックのような防寒服をつくることも知っていただろう。また、短い夏にはいくつものバンドがあつまって宗教的な儀式をおこない、物を交換したり、ゲームをして遊んだりもしたことだろう。獲物についての新しい情報が交換され、その情報を頼りにアラスカの奥へ、そしてついにはアメリカ大陸のもっと南へと進出してゆく狩猟民がいた。

南北アメリカ大陸でよく知られている最古の人類文化は、北アメリカの1500014000年前ごろから8000年前ごろのパレオ・インディアン文化である。なかでもクロービス文化はもっとも古い文化のひとつで、現在のアメリカ南西部を中心にクロービス型尖頭器(せんとうき:ポイント)とよばれる石器をつかう人々が大型動物の狩猟をおこなっていた。それは約11500年前以降のことで、それから少しおくれて11000年前ころには同じような狩猟文化であるフォルサム文化があらわれた。

 ベーリング海峡をこえた人々の子孫は急速に南方に広がり、数をふやし、南北アメリカの多様な自然環境と温暖化する後氷期の気候に適応し、さまざまな文化をつくりあげた。南アメリカでは、チリ南部のモンテ・ベルデ遺跡でマストドンの骨などとともに約12500年前にさかのぼるといわれる石器類がみつかり、すでにこの時点で南アメリカ南端近くまで彼らが到達していたと考えられる。

フォルサム文化の尖頭器

尖頭器(せんとうき:ポイント)は槍(やり)の穂先につかわれた石器で、この尖頭器は押圧剥離法(おうあつはくりほう)によってきれいに両面加工されている。柄をつけるために樋状剥離(ひじょうはくり:中央の浅いくぼみ)が基部から先端近くまでほどこされているが、これは1万1000年前以降に北アメリカ南西部で隆盛したフォルサム型尖頭器の大きな特徴である。北アメリカのパレオ・インディアン文化はクロービス文化やフォルサム文化などが知られ、この石器が出土したニューメキシコ州のブラックウォーター・ドロー遺跡からはフォルサム文化より古いクロービス文化の尖頭器も出土している。この遺跡では、マンモスやバイソンの骨と一緒にクロービス型尖頭器が発見され、1万1500年前以降とされるクロービス文化期に大型動物を狩猟していたことがはじめて確認された。

マストドンの狩猟

アメリカ大陸の先住民は1万年数千年前から8000年前ころまで、バイソン、マンモス、マストドンなどの大型哺乳類(ほにゅうるい)の狩りをして生活していた。この文化はパレオ・インディアン文化とよばれ、定型化した尖頭器(せんとうき:槍(やり)の穂先などにつかう石器)をもちいていたのが特徴である。大型動物の狩猟は獲物をうごきにくい湿地においこむなど、計画性と協調性を必要としたが、それを可能にしたのが言語などのコミュニケーションの発達だった。このジオラマはメキシコシティの国立人類学博物館の所蔵。

アメリカ大陸への人類の移住

氷期といわれる最寒期には、地球上に氷河がふえて海水面が低下し、当時のベーリング海峡は自然の陸橋(ベーリンジア)となった。人類進化から考えて、もっともわたる可能性の高い陸橋があった時期は2万5000年前〜1万4000年前とされる。しかし、その時期でもとくに寒さのきびしい約2万2000年前〜1万7000年前は、北半球の大部分は厚い氷床でおおわれ、移動は不可能だったと考えられている。そのため、陸橋ができてまもない2万5000年前〜2万4000年前ころか、あるいは寒さがゆるみはじめる1万7000年前〜1万4000年前ころに人類最初の移動がおこなわれた可能性が高い。近年、南アメリカ南端でモンテ・ベルデのような1万2500年前とされる人類遺跡が発見され、2万5000年前ころの移住を推測する研究者もいるが、確実なところでは1万5000年前〜1万4000年前ころとされている。このころ、まず太平洋岸ルートで、そしてその2000年後くらいからは氷河のゆるんだ内陸ルートでも移住はおこなわれた。なお、北アメリカ東部出土の石器がヨーロッパのソリュートレ文化の石器と類似しているとして、2万年前〜1万5000年前にベーリング陸橋ではなく、北大西洋を舟などをつかってきたという説や、南太平洋を舟でわたって直接南アメリカへ上陸したという説もある。あるいは、このような複数のルートで移住がおこなわれた可能性もある。

  アメリカ先住民 アメリカせんじゅうみん Native Americans 南北アメリカに昔からいた住民で、北アメリカではインディアン、ラテンアメリカではインディオとよばれてきた。北アメリカのイヌイットおよびアラスカ・エスキモー、アレウト(アリュート)もやはり先住民である。アメリカ合衆国ではハワイに先住していたポリネシア人もアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)にふくめる。近年ラテンアメリカでは、インディオという言葉に侮蔑的(ぶべつてき)・差別的な響きがあることから、インディヘナ(スペイン語で「先住の」という意味)などとよぶことが多くなっている。

 15世紀末〜16世紀、すなわちコロンブスがカリブ海に到着したころ、南北アメリカの陸地には9000万、あるいはそれ以上の人間がすんでいたと推定されている。そのうちおよそ1000万人は今日のアメリカ合衆国とカナダにすみ、3000万人がメキシコ、1100万人が中央アメリカ、44万5000人がカリブ海の島々、3000万人が南アメリカのアンデス地域、900万人が南アメリカのその他の地域にすんでいた。人によっては、これよりも少ない推定をすることもある。アメリカのどこでも同じだったが、ヨーロッパ人がやってくると、彼らとの戦争、飢餓、強制労働、新しい伝染病などのために、先住民の人口は激減した。

アメリカ先住民の体つきはモンゴロイド系の人々によく似ており、アジアの新人(ホモ・サピエンス)が氷河期のベーリング海峡をこえて北アメリカに移住し、アメリカ先住民となったことをしめしている。明るい褐色の皮膚、茶色の目、黒くまっすぐな毛髪などは、モンゴロイドの特徴である。その後、環境への適応などの過程で、先住民の体つきは細かい点では地域によってことなるようになった。たとえば北アメリカの大平原地域の先住民は、背が高くがっしりとした体をしており、南アメリカのアンデス地方の住民は高地に適応して、背は低いがぶあつい胸をしている。グアテマラの先住民が小柄なのは、タンパク質の少ない食事が原因であろう。